ヒールに徹するニコ生主「juke(ジュケ)」が嫌われる理由

ニコ生主という言葉をご存知だろうか。ニコニコ生放送でインターネット配信をしている人をニコ生主という。ふと、思い出したのでjukeについてまとめてみた。
202165

ドワンゴ ニワンゴ コラァ!

「ドワンゴ ニワンゴ コラァ!」とニコニコ生放送で吼えまくったjuke。この台詞がjuke名言集ランキング1位の言葉だ。いったいなぜこの発言が名言であるとともに、この発言にいたった歴史を思い出す限りではあるが説明させていただく。

jukeが大々的に出現したあの日

それまで無名だったjukeが突然、いっきに視聴者を集める放送があった。永井先生復活放送だ。永井先生との出会いと別れは2ちゃんねるのテンプレにのっている。以下引用。

ここではjukeと永井先生の関係を伝える。

永井浩二は元peercastの配信者で2007年当時絶大な人気を誇っていた。
その人気は桁違いのリスナー数や大量の物品を贈られる程で、その人気にjukeが目を付ける。
2007年7月、あるリスナーから「これで配信環境を良くして下さい」とPV3(キャプチャボード)が贈られた。
PC素人の永井先生はPV3の接続を出来る筈もなく、詳しい人に家に来て取り付けてほしいとリスナーに告知をする。
そこで熱烈なメールを送ったのがjukeである。その道で食っているプロと自称し、まんまと接触に成功した。

PV3を通じて永井先生との接触に成功したjukeは金儲けの話をする。
それはアフィリエイトを取り付けた公式サイトを作り、アフィ収入を得ようというもの。
永井先生もその話に乗り、一か月後に公式が開設された。
jukeは公式サイトの管理人のポジションに就くが、永井先生を「支援」という名目の元、裏で様々な蛮行を行った。

末期はjukeが放送を牛耳り、方針もjukeの指示になっていた。
jukeが介入した事で配信はおかしくなり、2008年の8月に永井先生は引退をしてしまう。
これが愛媛の配信を崩壊させた奇跡のjukeプロデュースである。

時は流れ2010年4月、ニコ生に進出したjukeは奴隷と化した永井先生を使い、一晩で20000人コミュを得る。
ピークはそれまでで後は凋落の一途、jukeが発端で様々なトラブルを起こし、リスナーは離れていく。
始めは永井先生を「10年来の親友」「永井先生先生の声を聞かせたかった」と丁寧に扱っていたjukeだが
徐々に本性を現し、事ある毎に永井先生に当たっていた。裏で恫喝をしていた事もばれ、更にリスナーが減少する。
そんな癒着が続き2012年2月、突然永井先生との決別を宣言する。
「永井先生に愛想が尽きた」と言うが建前でjuke・永井先生と交流のあったEMIの話によると
その日スカイプで永井先生兄弟と話した後、スカイプの切り忘れで兄弟がjukeの悪口を言っていた。
それを聞いたjukeは激昂し、殺害を予告する。永井先生は警察に通報し、そこで関係は終わったと言うのである。※1

以上の経緯があって現在でもjukeは永井先生の事を恨み続け、「歯糞」と詰っているのである。
(余談だが永井先生と決別した数か月後は配信頻度が激減、一般会員に落ち休止状態にあった
jukeのコミュだが永井先生が2chに降臨してからプレ垢に戻して配信を再開、
永井先生がtwitterを始めるとjukeもtwitterをアクティブにしてフォロワー数で対抗している※2)

因みに現在永井先生氏は2012年12月に復活し、現在までjukeとは不干渉で楽しくやっている。
何故永井先生がjukeに従っていたのかは諸説あるがjukeのブラフや恫喝に萎縮した、
アフィ収入や焼き肉を奢ってもらった恩義が有力。

2014年1月30日、放送上で永井先生家の三男を拉致して裸にするという犯行予告に出る。
いつものブラフだった様だが、犯行声明を聞いた者が一斉に通報をし、動画にもうpされ警察に通報する人間まで出た。
jukeはそれ以来逮捕に萎縮して放送を激減したが2014年11月末日、永井先生一家への三度目の殺害予告をする。
永井先生がニコ生に来ると態度は一変し、媚を売るようになったと思いきや再び罵倒をしている。

総括するとjukeは上述の通り永井先生を逆恨みで恨んではいるが、また依りを戻したいと思っている。
しかし自己愛特有の不器用さ、永井先生側はjukeの存在を抹消している為願いは現在も叶わないでいる。
その現実にjukeは放送すると必ず一度は永井先生を話題にして罵倒している。
そして遂に永井先生側が奴隷時代を謝罪し「もう二度と(jukeと)関わらない」と宣言した。
理想が潰えた事による自暴自棄、後悔、二度と戻らない親友、これからも続く孤独がjukeを今でも歪めているのだ。※3

※1…EMIの又聞きだったが2015 1/14の放送で永井先生本人の口から事実と確定しました
※2…jukeのtwitterは1万人ほどフォロワーがいるが相互フォロワーで増やしただけのハリボテである
※3…最近の調べでコミュレベルを餌に十代の女生主にばかり付きまとっていた模様、結果は見ての通り

当時はアンチとの決戦放送であった

まだ永井先生とjukeが仲良くしていたときの放送は、どんな形であれ結局はアンチコメを拾っての阿鼻叫喚の糾弾放送であったのだが、しばらくするとBANされる事態に陥ったのだ。その時に発言したのが「ドワンゴ ニワンゴ コラァ!」であり、永井先生の発言「右上の×ボタンおせや!!」と合わせて有名だ。当時を振り返るとよくまあひどい放送ばかりをしていたものだと思う。他では類をみない「放送主VS視聴者」の放送だったといえる。

jukeのプロフィール

じゅけぷろ

jukeの経歴

最後にjukeの経歴(自称)を紹介して終わりたいと思う。これをみたらきっと、嫌われてる理由の想像は容易のはずだ。

◆juke年表 (※本人の証言を元に作成しています)

1972年 0歳  6月3日 豚誕生
1972年 0歳  8月~9月 豚誕生(乙女座)
1973年 0歳  1月23日 豚誕生
小学生 時刻表を毎年買って旅行を妄想していた
1979年 7歳  この年まで東京に在住、それ以降は福岡在住
1980年 8歳 トムソーヤの冒険により人格の形成に大きな影響を受ける
1982年 10歳 エッチをする、相手の詳細は不明
1983年 11歳 両親からしっかりとした性教育を受ける
1985年 13歳 この年から今日までオナニーする事をやめる
1987年 15歳 小学四年生とSEXする、その姉中一ともエッチし、セフレになる
1987年 15歳 一つ上の先輩相手に軽トラの下で童貞をすてる
1988年 16歳 福岡で最も偏差値の高い高校に入学
1990年 18歳 他の受験者はセンター試験を受ける中、豚一人だけ大学共通第1次学力試験を受ける
1990年 18歳 旧帝大入学
18歳~20歳 法学部から工学部に転学
18歳~22歳 在学中に結婚(嫁の名前はチカ)
1992年 20歳 長女が生まれる (娘の名前はカタカナ3文字)
1993年 21歳 仕事が忙しくなる
1994年 22歳 博士号取得
1994年 22歳 九州大卒
1994年 22歳 東北大卒
1995年 23歳 風俗店に就職する
1995年 23歳 高校にまた入る。在学中地下鉄サリン事件が起こる
1996年 24歳 次女が生まれる(娘の名前はカタカナ3文字)
1999年 27歳 完全独立する
2002年 30歳 売春島に来島し風俗嬢にご飯をよそって貰った事に熱く感動する
2004年 32歳 18歳の元々カノと付き合う(後に元々カノは死亡)
2007年 34歳 風俗店の店長になる
2007年 34歳 システムエンジニアになる
35~36歳 リネージュで英雄になる
2010年 37歳 ニコ生に進出
2011年 39歳 次女がHKTのメンバーになる
2012年 40歳 複数の会社を経営する(年商二千万)
2012年 40歳 長女東大入学
2012年 40歳 娘死亡
2012年 40歳 娘蘇生
2012年 40歳 (玩具の)猫を飼う
2012年 40歳 (玩具の)猫のうんこに生命の神秘を感じ涙を流す
2013年 41歳 パズドラと艦これに嵌る
2013年 41歳 80万人中ランク1桁になる
2014年 42歳 同棲相手がいる女をNTR、妊娠させる
2015年 43歳 コンビニ店員と交際する
2015年 43歳 余命二年と公表する
2015年 43歳 秘宝ケレス・グレインを手に入れる
2015年 43歳 曲芸師を手に入れる
2015年 43歳 5月 安倍のミックス効果で時価総額が倍になる
2015年 43歳 5月 回線料節約するためにガラケーにする

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